vol. 016 「網走ハーフマラソン」

北海道の道東エリアに「網走市」、「北見市」があります。
夏場でも涼しい土地柄、このエリアは夏場のスポーツ選手の合宿地としても有名です。アクセスも、近隣に女満別空港があるため、東京から直行便で手軽に行くことができます。

この地域と陸上競技・マラソンとの関わりでは、6月に開催されている「サロマ湖100kmウルトラマラソン」が有名です。今でこそ、マラソンブームと言われ、フルマラソン(42.195km)よりも長いウルトラマラソンも全国各地で百花繚乱の活況を呈していますが、サロマ湖100kmマラソンこそが、その原点、総本山とも言える大会です(今年2009年は約4,000人がエントリー!)。

また、陸上競技では近年、6〜7月にかけて北海道内を転戦しておこなわれる中長距離の大会「ホクレンディスタンスチャレンジ」が有名で、網走、北見もそれぞれ会場となっています。

さて、今回のコラムは「網走ハーフマラソン」がテーマです。
網走市で毎年8月第1週に開催されていたハーフマラソン大会なのですが、残念ながら2002年を持って大会は終了してしまっています。
この大会の最大の特徴は、北海道で夏合宿中の実業団、大学生の選手が練習の一環として大挙して出場することでした。と言っても誰でも出場できる市民レースでもあり、市民ランナーとトップアスリートが同時に走る大会でした。

男女の大会記録は非常にレベルが高く、女子はアテネ五輪女子マラソン
金メダリストの
野口みずき選手が2002年に出した1時間9分49秒
男子も日本トップクラスで活躍した
早田俊幸選手が1992年に出した1時間2分47秒
だったと思います。

そもそも私とこの道東エリアとの関わりは、私の大学時代にさかのぼります。当時の慶応大学の競走部(陸上部のこと)の長距離ブロックでは、毎年8月に北海道北見市で16泊17日の長期合宿をおこなっており、その期間中に練習の一環として網走ハーフに出場していたというわけです。
私の初出場は大学1年生だった1994年8月7日。この年の網走ハーフの当日は異常気象となり、気温がなんと網走市の観測史上最高である37.6度となったのでした!
(2009年8月現在でもこの記録は更新されずに残っています)
アスファルトが熱せられて、素足で道路に立っていられないほどでした。まさか網走で37.6度とは思いもよらず、また人生で初めてのハーフマラソン出場でもあった私は、前半は勢いよく走り出したものの、オーバーペースと37.6度の暑さによって、後半は完全にジョギング状態となってフラフラで完走したのでした・・・。

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(1994年8月7日の網走ハーフマラソン。写真左から2人目のゼッケン「23*」と見えるのが藤井です) 


その後、社会人となってタイム計測の仕事についた私は今度はご縁があって、網走ハーフマラソンのタイム計測の担当者として携わらせていただくことになりました。2000年、2001年、2002年の3年間(つまり網走ハーフマラソンの最後の3年間)を担当させていただきました(株式会社ランナーズ在籍時代)。
大学時代には選手として自分が参加していた大会に、今度はタイム計測という立場で仕事として戻ってきたのは感慨深いものがありました。この大会は前述したようにトップ選手も参加する大会で日本陸連公認レースです。フィニッシュタイムだけでなく、5kmごとのスプリットタイムも計測しており(5km、10km、15km、20km)、全部で5ヵ所の計測ポイントがあり、なかなか
ボリュームのある仕事でした。東京から5トンコンテナで計測機材を陸送していました。
コースの大半はオホーツク海沿いを走るシーサイドコースです(冬は流氷で有名ですね)。なお、学生時代に自分が走ったコースだったので、土地勘を持っていたことで仕事はやりやすかったですね。

私は仕事柄、たくさんのマラソン大会の現場を見ていますが、名大会と定義できる大会がいくつかあって、網走ハーフマラソンもその1つでした。私にとって名大会の定義とは「標準的なクオリティを満たした上で、その大会の独自性がどれだけあるか」です。今大会は、

 ・8月第1週という時期(他の地域ではマラソン大会がほぼない時期)
 ・トップアスリートが大挙して出場、市民ランナーとの混合大会
 ・網走、オホーツク海、という情緒豊かな地域風土
 ・おまけ:日本の北端に近い網走なのに37.6度という気温の中でハーフマラソンが開催されたこと(1994年8月7日)。

などで、忘れることのできない大会でした。