毎年2月に開催されている横浜国際女子駅伝。 今回はこの大会についてのコラムです。
横浜国際女子駅伝は2009年2月22日の開催を最後に27年間の歴史に 終わりを告げました。(2009年11月から横浜国際女子マラソンが 新たに開催されることに伴う道路使用事情による)
私は横浜国際女子駅伝の最後の3年間(2007年、2008年、2009年)の タイム計測を担当させていただきました。
この大会の仕事も私にとって非常に大きな転機の1つでした。
(2009年大会(最後の大会)で優勝テープを切る日本チームアンカーの
渋井陽子選手(三井住友海上・女子1万m日本記録保持者))
横浜国際女子駅伝のようにTV生中継されるようなレースを、この
業界では「エリート大会」と呼びます。エリート大会の仕事の場合、
オンエアしているTV局さんに計測したデータをリアルタイム送信する
業務が含まれ、計測業務の難易度としては非常に高度なものになります。
しかも複数の計測地点があります。(駅伝であれば区間の数だけ計測、
マラソンであれば5km毎スプリットタイム計測)
事前の準備から当日まで非常にボリュームのある業務となります。
我々の仕事は通常、大会の2~3ヶ月前ぐらいには動き始めます。
受注が決まれば、機材の手配やスタッフの人員配置など事前の仕込み
が始まるわけです。特にエリート大会であれば、通常の市民マラソン
以上に大変な部分もあります。
ところが2007年に初めて横浜国際女子駅伝を担当させていただいた際、
受注が正式に決まったのは大会の1ヶ月前でした(!)。
業界の慣例からするとかなり異例の事態で、とにかくそこからの
仕込みに苦労いたしました。機材の手配、スタッフの手配、そして
現場の業務マニュアル作りなど突貫工事でした。
しかもこの時は急な受注であり、しかも繁忙シーズンだったため
自社スタッフがすでに他の仕事で埋まっており、業務提携している
複数の同業社さんから空いているスタッフをかき集めたのです。
この仕事で初対面となるスタッフもたくさんおり、まさに一期一会の
多国籍軍でした。
結果的に、この時の横浜国際女子駅伝の仕事は無事に終わり、この
経験はそれまでの自分の仕事の枠を大きく変えてくれました。
「難易度の高いエリート大会の仕事でも、1ヶ月前の
急な受注で、しかも初めて集うような多国籍軍スタッフ
で出来るんだ」という目からウロコ的な経験でした。
この時から私の中で「どんな(厳しいと思える)受注でもやってみる
もんだ」という方向性が芽生えたように思います。
実際にこの経験が生きたという実例もあります。
その同じ2007年の12月に長崎県で開催されました九州学生駅伝を担当
させていただいた時は、何と大会の2週間前に受注が決まったのです(!)。
横浜を上回る超突貫工事で(確か徹夜もしました・・・)、何とか
無事に終えましたが、これは横浜国際女子駅伝をやっていなかったら、
出来なかったと思います。
横浜国際女子駅伝は、私の中で確かなターニングポイントの1つだった
のでした。